「Loser's Parade」

for さえない日々

志村會


別に、献花するつもりはなかった。仕事の帰り道に中野駅があるし中野サンプラザは駅の近くだから、ちょっと覗いてみようか、くらいのつもりだった。

それがなぜか、いつの間にか中野ブロードウェイで500円分の菊の花を購入していた。閉まりかけのその花屋には、おそらく同じ目的のお客が、数人いた。

会場である中野サンプラザは、詰めかけた人たちで溢れかえっていた。会場外をぐるりと半周したところまで列は伸びていた。ただひたすら、少し動く、止まるの繰り返しであっという間に1時間が経過していた。建物に入った時刻は20時30分。

建物に入って右側に、楽器の展示があった。志村が使用していたマッチレスのアンプ、レスポール、MXRなどのエフェクター、マイクスタンド。

建物に入ってもまだまだ列は続く。20時で列に並ぶのは終了したため、列は自分が目視できるあたりでこれ以上伸びることはなかった。

サンプラザ中野の芸名の由来」という知識しかなかった地方出身の自分にとって、これが生まれて初めて入った中野サンプラザだった。ついさきほど発表された小沢健二の演奏会場にも名を連ねている。まさか、こんな形で初めて足を踏み入れるとは思わなかった。あれこれ考える内に、「これより先は撮影禁止」という張り紙が貼られたホール内に着く。ここでいよいよ献花か、と思ったが、それでもなお座席の隙間を縫うようなワインディングロードが長く続いていた。この時点で並び始めてから1時間半は経過している。しかし、さすがにステージ上に足の踏み場も無いほど手向けられた花や、遺影である大きな志村の写真を見ると、一気に厳かな雰囲気になる。BGMは『茜色の夕日(インディーズバージョン)』『Anthem』『笑ってサヨナラ』など比較的ミドルテンポ、スローテンポの志村作曲の数々。今までライブの開場を待つかのごとく同行者と談笑していたような人たちも、途端に静かになり、いよいよあちこちからすすり泣きの音が聞こえてくる。男女とも。
長い長い行列を経て、いよいよ献花する出番が近づいてきたとき、座席に座る人影を見つけた。ある20代後半〜30代前半の女性の顔を見てはっきりと確信した。志村の親族だ。そしてこの女性はお姉さんか妹なのだろう、志村正彦にそっくりなのである。特に目の辺りが。志村一家は、恐らく昼からずっと参列者に礼をしていたんじゃないだろうか。自分も献花直前、親族に一礼をする。
そして、献花。昼から集まった参列者による大量の花束の中に、自分がさっき急いで購入した、味気のない菊を添える。菊なんて、よくよく考えたらお墓に供える花だ。閉まりかけだったし、あまり種類もなかった上、そもそも花屋で花を(ましてや献花用)購入する経験も乏しいので、こんなものしか用意出来なかった。けど、男から綺麗な花をもらっても嬉しくはないだろう、と言い訳をしつつ。みんなステージ上の祭壇に向かって、別れを惜しむかのように長く手を合わせている。それに併せて自分も手を合わせる。他の方より短かったかもしれない滞在時間。しかし、男に長く付きまとわられるのもイヤだろうからそれでいい。フジファブリック、そして同い年である志村正彦という人物に出会った衝撃と刺激と感謝を述べて、開場を後にする。

ホールを後にすると、ユニコーンの名物マネージャーでお馴染み、Hit&Runの原田公一社長が一人ひとりに感謝の礼をしていた。そして、志村の写真のポストカードと、この日のために作られたチケットを受け取った。

そうして、僕は中野を後にした。ありがとう、志村正彦
「志村會」でフジファブリック志村正彦をファンが追悼 - 音楽ナタリー