「Loser's Parade」

for さえない日々

ばかのうた/星野源

随分と素直だなぁ、と思ったのが第一印象です。そして「筆舌に尽くし難い」という、舌を噛みそうな言葉も浮かんできました。SAKEROCKのリーダー、星野源の実質初めてのソロアルバムです。
インストバンドのメンバーが唄のアルバムを出す」ということに対して、自分は特に疑問はない。それは、星野という人がそういう人物(唄歌い)だというのを知っているからだ。そもそも、自分にとって星野源という人は最初から「唄う人」という認識だった。初めて見に行った2006年のSAKEROCK正月ツアーの際、対バンでもあった湯川潮音をゲストに招き、『からっ風(湯川潮音の曲)』、そして『穴を掘る』や『スーダラ節』をボーカル付きで披露していたのだが、そのときにコーラスを担当していたのは星野氏だった。初めて見たライブがそれだったため、「ああ、この人はこうして唄う人なんだ」と思っていた。実際、このライブの前あたりから弾き語りライブを行う機会が増えてきており、ちょうど自主制作盤の『ばかのうた』を制作していたタイミングでもあった。話を聞くと、「昔から歌いたかったが、恥ずかしくて言い出せなかったためインストバンドとなった」そうな。しかし、ちょうど自分が知ったときには「歌いたい衝動」が少しずつ外に出だしてきていて、「Songs of Instrumental」では星野ボーカルの『スーダラ節』が入り、その後も様々なアルバムで星野ボーカルをフィーチャーされるようになり、変則的に『ばらばら』をリリース。そして、今回の唄ものソロアルバム。至極まっとうな流れだ。

さて、今回のソロアルバムですが、今までの曲に比べ、割と身近にあるものをテーマにしている印象がある。『穴を掘る』『夜中唄』など、昔から演奏されている曲に関しては「物語性」が強く、どこか「童話」っぽい「非現実的」な内容だったのに対し、今作に向けて制作された曲はやたらと生活観が溢れて「現実的」だ。第3者を挟むとは言え、時には恋愛を想起させるものもある。「そこまでさらけ出すの!?」と、なんだかむず痒くなってしまったのだ。実際に歌詞を見てもらえばわかるかもしれない。果たして、その理由はなんなんだろうか。そのことについて語っているインタビューがありました。

―古い曲と新しい曲では、作り方も違ったりするんですか?

星野:曲の作り方は変わらないですけど、詞の内容は変わってきてると思います。自分が作ると、どうしても切ない雰囲気のものになってしまうんですけど、聴いてもらった人に言われて納得したのが、昔の曲は「ひとりぼっちの悲しさ」があるんだけど、新しい曲は「周りに人がいるなかでの悲しさ」があるって。確かに“老夫婦”とか、夫婦の歌が多いですし、ひとりぼっちの怖さみたいなことより、普通の幸せがなくなることの恐怖っていうのが、いま自分のなかですごく気になってるんです。
『ばかのうた』星野 源 インタビュー - インタビュー : CINRA.NET

なるほど、今回の新曲に「生活感」が溢れているのはそういうわけだったのか。
星野作の曲は、全体的に「物悲しい」。たとえ曲調が楽しそうな感じでも、実は歌詞が悲しげだったり。よく星野ソロのことを「癒される」「ほっこりする」と評しているのを聞くが、果たして本当にそうなのだろうか?確かに曲調や歌声はそうなのかもしれないが、よくよく歌詞を聞いてみたら、結構悲しいことばかりなのだが…といつも思っている。今回なんて「死」をイメージさせる曲が『グー』『老夫婦』『兄妹』と3曲もある。『キッチン』だって別れの曲だ。でも『グー』は「エロいナース」という言葉を盛りこんでくるし、『兄妹』はマンガ「バカ姉弟」を彷彿とさせる。悲しさの中の可笑しみなのだろうか。それにしても、今回一番驚いたのは、英歌詞が登場したことだろう。

Take me back to the countyside where I don't belong anymore
―『ただいま』

なんとなく訳すと、「今は住んでいない田舎に連れ戻して!」という、「田舎に帰ろう」的な意味。カントリー調のこの曲がハイライト。細野作曲というのが一聴して分かるけど、複雑なコードは星野製。二人の絆がこうして形になった瞬間パッケージ。


とにかく、いろいろ感じることがあったし、自称「星野研究家」としてはもっと深く掘り下げることもできるかもしれないが、冒頭に記載したとおり「筆舌に尽くし難い」。ただ、一言で言い表すとするならば…いいアルバムだ!

ばかのうた
ばかのうた星野源

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