「Loser's Parade」

for さえない日々

星野源「ばかのうた」発売記念のライブ@渋谷クラブクアトロ

かつて「恥ずかしくて人前で唄うってことができなかった」人が、時を経て「ボーカリスト」になった瞬間に立ち会えました。


星野源、初のワンマンライブ。当日の渋谷クワトロは超満員。途中まで気がつかなかったんですが、後ろが混み混みで扉が閉まらないほどになっていたそうな。いったいどれだけ入っていたのだろう。こんなに混んでいるのは久しぶり、いや、初めてかも。混んでいる割に息苦しい感じはなかったので気が付きませんでした。音楽も穏やかだったし、ライブの雰囲気も終始穏やかだったからなのかもしれません。
開演時間を10分少々過ぎたあたりで登場したのは星野ひとり。パンパンの会場を見るなり「すげー!」とステージ上から漏らしつつ、手始めに弾き語り。「唄わない人が唄うにはどうすればいいんだろうという曲」と自身に重ねあわせて始めたのは『インストバンドの唄』。今までインストバンドのギタリストとして活動してきた彼の決意表明のように、その曲は、今日は聞こえたのでした。続けて「初ワンマン記念として、今の気持ちを代弁した新曲を作ってきました」と宣言して始まったのは、まだ名前も決まっていない曲。どうも名前は各自で勝手に心の中で付けてもいいらしい。「歌を歌うときは背筋を伸ばすのよ」「人を殴るときは素手で殴るのよ」「思い伝えるときには真面目にやるのよ」「いい言葉が見つからないときは近い言葉でもいいから」と、シンプルな構成の短い曲。そう言えば星野曲の歌詞には「〜のよ」と女性言葉で綴られることが多い気がする。それは、極力「自分の思い」を第三者に、主観ではなく客観視点で代弁させようとする「照れ」なんだろうか。しかし、まさにこの新曲の歌詞「思い伝えるときには真面目にやるのよ」の通り、この日は終始真面目に、第三者に託した自分の思いを伝えていた気がする。と言うわけで、自分は「真面目」と心の中で命名しておく。
新曲を歌い終わると、スッとバンドメンバーが自然にステージに登場。メンバーは伊賀航さんとグッドラックヘイワのコンビ。ここでアコギから、いつものGibson ES-125へチェンジ。あ、エレキギターでソロ曲唄うのって、もしかしたら初めて見たかも。バンドが登場して1曲目はソロアルバムの始まりでもあり代表曲である『ばらばら』。星野ソロでは伊藤名人のコーラスも同時に堪能できるのが嬉しかったりもする。よくよく見ると、コーラス部分でないところも一緒に口付さんでいるのが見えるのも、純粋に曲を好んでいるのだろうか。続けざまに演奏を始めようとするも、緊張からか出だしを間違えて一度落ち着きつつ『キッチン』。そういえばこの曲はアルバムの中でも結構ストレートに「別れ」を唄っている気がする。第三者視点でもないし。そんな別れの曲を、歌声やさしく、コーラスやさしく。
ソロということ、そしてワンマンということでMCをどうしていいのか分からないのか、お客さんと絡むことが多い気がした。「どこからきたの?」という、基本中の基本の掛け合いにて、「遠くから来た!って人いますか?」の問に「三重県!」との回答があり、三重県出身者の自分は鋭く反応してしまう。その後「福岡県」「北海道」と、遠征組が紹介される中、「台湾」という日本をも超えた遠征者が登場し会場騒然。それって、まさかこのライブだけのために帰国(来日?)したわけじゃないですよね…?別の要件が主で、たまたまライブがあったからチケットを取ったってことですよね?対して「逆に近くから来た!って人は?」の問いに対する回答は「恵比寿(渋谷から山手線で一駅)」「初台(直線距離5kmほど)」でした。
MCで「大阪芸大に落ちて、『浪人する金は出せないから一人暮らししろ!』と言われて阿佐ヶ谷で一人暮らしを始めた」と語っていたが、もし11年前、実際に大阪芸大に合格していたら、もしかしたら大人計画に所属することはなかったかもしれないし、SAKEROCKは存在しなかったかもしれないから人生って分からない。もしかしたら十三ファンダンゴ難波ロケッツあたりで奇天烈なバンドを、もしくは京都拾得あたりで弾き語りを行っていたかもしれないし、それを関西で学生をやっていた自分も目撃していたかもしれないという妄想も同時に広がるのだけど。赤犬のメンバーになっていた、という妄想も含めて。
阿佐ヶ谷在住のいわゆる下積み時代、バイト先で客の残したパスタを隠れて食ったり店の塩を拝借して家でご飯にかけて食いつないでいた時代に作ったというのが『夜中唄』。この曲、途中で3拍子にリズムが変わるところが好きだ。歌詞の内容もリズムも不思議で、それはその頃の鬱屈したものが出ているからなのだろうか。
続いて『子供』。『キッチン』同様、やさしいこの曲は、なんだか大人びた感じ。だけどタイトルは「子供」だ。歌詞だけ読むと幸せな光景のはずが、なぜか影が見え隠れする曲。その後のMCで「幸せなものを見ると切なくなる」「デパートのおもちゃ売場でこれ買って!と言っている子供を見て苦しくてうずくまってしまった」という発言からも、なんとなくこの曲の背景と言うか、行間が読み取れるかも。壊れることを想像してしまうのだろうか。
さて、ここで個人的に「おっ!」となった出来事があった。それは、「立って唄いだした」ことだ。しかも、ステージ中央で。別に唄う人にとって別段不思議なことではない、むしろそれが自然なことなのだが、今までそうして唄う星野を見たことがなかった。聞くところによると、SAKEROCKでも昔は椅子に座って演奏していたらしい。それは、「グループ魂の雨の野音(晴天決行)」というDVDでゲストである宮崎吐夢のバックで演奏する姿にて垣間見ることができる。「立って演奏するのが恥ずかしいから」という理由だったらしい。それが、自然に立って演奏するようになったのは、そういった照れがなくなっていったからだとすると、今回「ステージ中央で立って唄う」ということを始めたのは、「唄うことに対する照れ」というものがなくなったからなのかもしれない。それは長年「唄うことに対する照れ」が邪魔して務めることができなかった「ボーカリスト」というポジションに、ようやく着くことができた瞬間だったのかもしれない。あくまですべて妄想なんですが。ちなみに「立ったからと言って(ギターを抱えてジャンプする素振り)こんなことはできませんよ!(お客さんの「やってー!」の声に)…じゃあ、どこかで入れられるようだったらやってみます!」との前置きあり。
ボーカリストになった星野が唄うは“老人三部作”の『グー』。先ほどの歌とは逆で、曲調は明るいのに歌詞は死について唄っている。しかし、暗くなりすぎないのは曲調と共に「エロいナース」というワードひとつでなんとなくのくだらなさも表現しているからだろうか。その後も“老人”が続き、『茶碗』。テーマは「幸せ」であろうに、何故老人なのだろうか?なんだか星野劇場を見ているみたいだ。いや、紙芝居のが雰囲気的にあってるかな?はじまりはじまり〜的な。続く『ひらめき』は、不協和音が入り少し不安定なギターのリフと、1パターンのメロディーで構成されている短い曲。非常にシンプルでドラマティックな展開などはないのだけど、だからこそグッと来るものがある。
ここで高田漣がゲストで登場するのだが、ちょうど自身が出演している朝ドラ「ゲゲゲの女房」で共演している大杉漣の話題をちらりと。「大杉漣の芸名は高田漣から取っている」というエピソードは「風呂ロック」のときも話していたのだが、やはり「へぇ」ボタンを連打したくなる。ちなみにゲゲゲの女房、このあとも出番があるそうです。「これでもレギュラーだからな!」とのこと。また、高田漣との思い出話では、SAKEROCKカクバリズムに入った経緯に高田漣が関わっている、という話。この件も過去に記事で書いたことがあるのだが、それが高田漣に招かれたものだったとは。何気にキーマンとなっているのですね。
高田漣が加わって『老夫婦』。インストではわりと明るい印象だったのに、これも「死」について唄っている。だけど、後半ではカントリー調のアレンジになり、その箇所のメロディは全部ラララで唄われる。確かに「死」に関して唄われているのだけど、この部分がなぜか未来が明るく開けるイメージ。これって、「未来が明るく開ける」=「天国でふたり」的な物語をアレンジに込めているのだろうか?いかんせん、こういう妄想をしたくなる。
ここから一気に盛り上がる曲群へ突入し、『穴を掘る』。この曲には他の人が歌ったバージョンやインストバージョン、弾き語りバージョンなど様々なバリエーションが展開されているが、どれも不思議な魅力がある気がする。ちなみに最近SAKEROCKでもこの曲で唄うケースがあるのだが、そのときはコーラスはハマケン。それにしても、なんでSAKEROCKって、インストバンドなのにボーカリストが二人もいるのだろうか。改めて、不思議だ。あ、エンディングでギター持ってジャンプした!会場、爆笑。そして続けざまに『兄妹』と勢いある曲が続く。この曲を聴くと、やっぱり「バカ姉弟」を想起してしまうのだ。そして細野晴臣との共作『ただいま』へ。一聴して細野印が付いているのを確認できるカントリー調のメロディと、星野印のコードワーク。そして、初挑戦の英歌詞。イントロからAメロ、そして途中からバンドみんなが入ってくる編曲。どれもがかっこいい。
ここでライブがあと1曲で終わることを告げると、みんなから「笑っていいとも」ばりの「え〜!」。しかし「アンコールという制度がありますので、ね。」と事前に予告。アンコールを含めて事前にセットリストを用意していることに対する欺瞞を回避しようとしているのだろうか。単にセオリーが恥ずかしいのだろうか。なんだかここでも「照れ」を垣間見た気がする。そして本編ラスト『くせのうた』。今回のリードトラックってやつだ。歌詞を改めて読むと、この登場人物って、ムッツリな感じがしませんか?「癖を聞きたいけど、ひかれたらどうしよう」だなんて。まず「癖を知りたい」っていうのも、ともすれば変態チックに聞こえてしまう。だけどその印象は最初だけ。変態だって、紐解くと純愛なのだ。

本編終了後、予告通りのアンコール。再び出てきたのは星野一人ぼっち。特に決めずに弾き語りをするのだという。その前にMCを、というと突然「私、誕生日!」と叫ぶ女性が後方に。その流れから「何か祝って欲しいことがある人?」という問に対して「結婚しました!」「離婚しました!」と。なんか、これだけの人がいたら、人生もそれぞれなんだなー、なんて思ってみたり。ちなみに結婚したひとの名前が「尾美」になったそうで、その流れで宮藤官九郎作・演出の舞台「ウーマンリブvol.9 七人の恋人」の劇中歌である「尾美くん」をちらっと唄う流れがありました。どうもほとんど歌詞やメロディ、コードを覚えていなかったようで、お客さんに教えてもらいなからやっていましたが。しかし、まさかの「尾美くん」だったなー。また、かつてバイトをしていたという中野の沖縄居酒屋(あしびなー)の店員が来ていたようで、そのときのとんでも行動(お酒のロックと水割りの違いが分からなかった)を告白。
さて、手始めにイースタンユースの吉野さんと共作である『たいやき』。吉野さんをして「そして君はホントに、なんか、凄いわ。」と評されたこの曲。今でもフリーダウンロードで入手可能です。続いては「この曲は、バナナマン日村さんの誕生日の際に送った曲です」という説明を聞いた瞬間に会場はこの日一番の盛り上がり。なんと、「日村さん38才の歌」!まさかこの曲を生で聴けるとは…!この曲は、「バナナマンのバナナムーン」にゲスト出演した際に作ってきた曲。メロディはとても素晴らしいのに、とにかく歌詞がひどい。このギャップでとても素敵な曲となっているのですが、この弾き語りの時はとにかく大笑い。それにしても、結構この曲のことを知ってる人、多いんですね。みんなバナナムーンのリスナーなのだろうか。ここで今でもその模様が収録されたPodcastを聞けます(2010/5/14分)。ちなみにこの唄の途中、先ほど「私、誕生日!」と声を上げた人に対しても名前と年齢を聞いて即興で唄う場面もあり。歌詞はひどいけど、あの人絶対一生の思い出だよな…。
そしてずっと「やってくれー、やってくれー」と心で願っていた『選手』を演るっていうんで更に盛り上がった。とにかくこの曲が好きなのです。今回アルバムに入っていなかったことが非常に残念だったのだけど、「24、5歳で書いた曲なので、今読み返すととても青くて恥ずかしい」とのこと。でも、その、もしかしたら青臭さが残っているものが非常に好きなのかも。今の歌詞は少し達観しすぎているのかも、とは個人的意見。そして、いよいよ本当に最後。バンドメンバーも再度ステージに戻り、タイトル曲『ばかのうた』。この曲はバンド編成になっても音数が少なく、弾き語りのときのニュアンスが残っていて沁み沁み。


歌詞だけ見るとやたら達観した印象なのに、これまではボーカリストとして表現することに対して「照れ」があった星野源。きっと、本人自体はいろいろ達観した感覚を持っているのだろうけど、表現という分野になると途端に照れが生じてしまう。しかし、今回は照れをかなぐり捨てて、ステージ中央に立ち、唄った。ただ、その姿も堂々としながらもまだ不慣れではにかみながらという印象だった。そういえばSAKEROCKだって、書く文章だって、決してストレートとは言えない、どこか「ひねくれ」がある。これらの表現方法もしかしたら「照れ」から来ているのかもしれない。だけど、それが独特の雰囲気を醸し出しているのかもしれませんし、そんな彼が僕は好きです。だから、晴れてボーカリスト(歌手)となった人にこんなことを言うのは到底失礼であり、まったく自分勝手な戯言ではあるのですが、これからも「ぐらぐら」なままでいてください。一緒に揺れたいとおもいます。